「アナタが好きです。俺と付き合って」
任務受付所。いつも通りの日常、いつも通りの風景に起爆札が発火したような言葉が投下された。静かだが威力を持った爆風に、その場に居たものは身を震わせ、対峙する二人を恐る恐る見やった。二人を窺うように回りは息を潜めたが、それを気にするでもなく、カカシから報告書をいつも通り、受け取ったイルカは報告書に視線を落とした。
「…それは、命令ですか?」
「違います」
淡々と報告をチェックする合間の短い会話。イルカは顔も上げず、それをカカシはただ見ている。
「結構です。お疲れ様でした」
「…返事を頂きたいんですが」
顔を上げ、報告書に受領の印を押し、イルカは顔を上げ、カカシを見上げた。
「俺と付き合いたいのでしたら、今付き合ってる女性の方、俺が知ってるだけでざっと三十人ほどですか…、他にも居らっしゃるんでしょうけど、その方達と別れて来てください。そうしたら、真面目に考えます」
イルカの素っ気ない言葉に隣に座っていた同僚が我に返った青褪めた顔で、イルカの袖を引っ張るが、イルカはそれに何でもない顔をし、運悪くカカシの後ろに並んでしまった若い忍に声をかけた。
「次の方、どうぞ」
「…え、は、はいっ」
若い忍は困ったように報告書を受け取ろうと伸ばされたイルカの手と、無言でそれを見下ろすカカシを見やり、困惑する。それを気にするでもなく、イルカは報告書を受け取った。
「…解りました」
一言、カカシは言葉を発すると、踵を返す。受付所からカカシの姿が消えて、ほっと受所に平和が戻った。
「おい、お前、はたけ上忍にあんな口訊いて大丈夫なのかよ?」
「ん?命令じゃないって言っただろ。あのひと、そう言うところはちゃんとしてるしな。女癖、超最悪だけど」
「…あのひとがそういうひとだって知ってっるけど、そーじゃなくてよ、別れて来いって」
「出来ないことを言ったんだよ。たかが、中忍、しかも野郎相手に女、切る訳ないだろ。…この話は終わりだ。混んできたぞ。お前も仕事しろ」
早口の忍言葉で交わされた言葉にその場に居た者達は耳を傍立てていたが、納得したかのように自分の行動に戻る。…カカシの女癖の悪さは他国にも及ぶほどに、聞こえの良いものではなかった。日替わりで女が変わるだとか、廓を貸しきって乱交に及んでいるだとか、他の里にも囲ってる女がいるだとか、声を駆けられて素人の女にも手を出したとか、カカシを巡り、くノ一達で争いがあったとか……まことしやかな噂が囁かれている。…忍としての地位と名誉、顔を隠していても長けた容色だと解る容姿、そして、匂い立つような男の色気に当てられたカカシと寝てみたい女は掃いて捨てるほどにいるらしい。実際、カカシが両腕に容色整った美女を侍らせ、花街を歩いているのを見たという目撃者もいる。イルかも何度かその現場を目撃していた。
(…今更、)
カカシとイルカは一ヶ月前、三年の長きに渡る付き合いに終止符を打ったばかりだった。カカシの来る者拒まずな女癖の悪さに、イルカは耐え切れずに音を上げた。今まで、カカシの素行に口を挟んだことはない。相手は里の誉であるし、階級差もあり、イルカが男だという体裁もあって、恋人同士であることはひた隠しに付き合ってきた。そんな関係で、元より上手く行くはずがなかった。
「好きです」
と、カカシに告げたのは自分だった。カカシの噂は聞いていたし、その噂に男の話は聞かなかったから、フラれる覚悟は出来ていた。知人以上友人未満な生温いこの関係が心地よく、壊したくないと思ったが、カカシに惹かれていく心をどうしても、イルカは止めることが出来なかった。壊れてしまってもいい、もう、ケジメをつけようと告げた言葉に、カカシは否定も肯定もせずに、ただ、嬉しそうに笑ったのだ。
そこから劇的変化はなかった。以前と変わらぬ関係にセックスが追加されただけだ。最初の一年はそれで良かった。カカシの女癖の悪さは相変わらずだったが、任務を終え、カカシが帰ってくる場所はイルカの住まうアパートで、それがイルカのカカシへの想いを支えるすべてだった。その優越に、いつしか醜い嫉妬と独占欲が生まれた。それは次第に、イルカの中で膨らんでいき、隠せなくなっていった。そして、決定打になったのが、ひと月前のあの夜の事だった。
深夜、ふらりとイルカの家を訪ねてきたカカシの体からは、白粉の、女の匂いがした。
(…女を抱いてきたのか…)
その匂いに眩暈がした。何をやっても、どんなに尽くしても、結局、自分はあのやわらかい体に勝つことなど出来ないのだ。これ見よがしに、威嚇するように牽制の為に付けられた首筋のキスマークに打ちのめされる。
(…俺の家に来る時はいつも、匂いを落として来てたのに、それすら、面倒になったのか…)
それがカカシの自分に対する誠意なのだと思っていた。だから、耐えることが出来たのに。…急速にイルカの中で、カカシへの気持ちが冷めていく。
「…カカシさん、俺、もう、疲れました」
カカシを変えることが出来るとずっと信じてた。いつかは自分だけになればいいと思っていた。そんな、幻想から冷めて、自分がどんなに傲慢だったのかを思い知る。そんなこと最初から出来るはずもなかったことに、今更、気づいて、ひどく自分が惨めに思えた。これ以上、カカシと一緒にはいれない。自分の挟持すら失ってしまいそうだ。他所に行かないでくれなんて、泣いて縋りつきたくない。それが、イルカに最後に残った挟持だった。
「俺から始めたことなのに、すみません。殴ってくれていいです」
鼻孔を擽る甘い香りに、敗北を覚えて、ただ、打ちのめされる。何も、カカシを引き止めておけるだけのものを自分は持っていなかった。…それだけだ。
「…別れてください」
そう告げた後、カカシが何と言ったか、どんな顔をしていたか、イルカは覚えていない。気がついたら、一人で。崩れそうになる体をドアノブを掴むことで、堪えて立っていた。玄関の無機質なコンクリートにいくつも染みが出来ているのを見て、初めて、自分が泣いていることにイルカは気づいた。
「…ハハッ…」
少しは期待していたのかもしれない。カカシが「嫌だ」と言ってくれることを。でも何も言わずに、カカシは去っていった。
「…呆気ねぇな」
呟きは涙と一緒に落ちて、溶けた。そして、この一方通行だった恋は終わったのだ。
こんな終わり方をしたのだから、カカシは自分を避けてくるだろうと思った。でも、カカシは平素と変わらず、翌日も自分に接してきた。関係は終わったけれど、職場で顔を合わすのは仕方がない。そこは大人だ。割り切った。付き合う前に戻っただけ。イルカとカカシが付き合っていたこと知る者は誰もいない。変に避ければ、回りから勘ぐられる。それだけは避けたかった。
いつもの様に、報告書を受け取る。僅かに触れた指先に、心臓が止まるほどの痛みを覚える。
「…っ、お預かりします」
会えば、やっぱり好きだと思った。でも、早く、振りきらなければ、自分が駄目になる。
「…問題ありません。お疲れ様でした」
たった、それだけのやりとりがどんなに苦痛か。でも、あの嫉妬に掻き毟られるような痛みを感じなくなった分、前よりはマシな気がした。でも、その些細な、カカシからのそれは、意図を持ったものだと、報告書を受け取る度に、或いはすれ違う瞬間に、そっと撫でるように離れていくカカシの指先が、無言でイルカに何かを、気付いて欲しいと訴える。それをイルカは黙殺してきた。気づかないフリをしてきた。…そして、とうとう、カカシは言葉にしてきた。
『アナタが好きです。俺と付き合って』
三年間、ずっと欲しかった言葉。でも、今更だ。もうあんな思いは沢山だ。命令ならば、従うことが出来たのに、違うと言う。だから、期待してしまった。口は勝手な条件を突きつけていた。
(…無理だろ…)
結局、あのやわらかい、カカシのすべてを包み込んできた女達に、自分は何一つ敵いはしなかったのだから。そう思うのに、カカシを想うことを止められずにいる。カカシの奥底に潜む、昏い色をした、それでも純粋で美しい孤独を愛しているから。
イルカは深い溜息を吐いた。
□□□
弐以降はカカシ視点になるかと思われ…。
[50回]
PR