戦場での性行為は男同士でも交わされる。それは性欲の解消を目的としていて、要は突っ込む孔さえあればいい、即物的なものだ。それは仕方がない。戦場では絶対的に女の数が足りない。それでも、一部の優秀な上忍には専任のくノ一(上忍によっては志願者がいるらしい。あわよくば既成事実を手に入れたいのだろう。夢も希望もない)が付くが、残るのは行き場のない性欲を持て余した男だけだ。相手が男でも抜ければ何でも良くなるし、道徳だとか倫理だとかそんなものは麻痺してどうでも良くなる。
戦場は悲惨だ。そこには敵と味方、死んだものと生きてるもの、明日、自分が生きてるかどうかさえ解らない。セックスは不安の解消を目的とし、獣からひとに還る為の儀式のようなものだ。子孫繁栄とは別にまた切り離された本能。身の内に猛ったものを吐き出してしまえば、それで終わる。戦場は非日常。平和な日常に帰れば、すべてが暗黙の内になかったことされる。それで、
終わる。…終わるはず、だった。
「…久しぶり。元気にしてた?」
教室から職員室へ戻ろうと、イルカは出席簿を手に夕日に染まったアカデミーの廊下を歩いていた。それを突然、何かがイルカを拐う。我に返った瞬間には、埃っぽい資料室に気配に気づく間もなく引きずり込まれた。手にしていた出席簿が軽い音を立てて、床を滑り落ちていく。有無を言わさず、壁に片手で両手を固定され、股に挟み込まれた脚の所為でろくに抵抗も出来ずにイルカは拘束されていた。暗い室内に目が慣れて、顔を上げれば、狗面を付けた銀髪の男。この里一番の凄腕、暗部服に身を包んだ男がイルカの前にいた。
「…アナタに拐われる前までは。元気でしたよ」
イルカの嫌味に銀髪の男は面の下でくぐもった笑い声を漏らす。それを冷めた目でイルカは見やった。
「…そんな嫌味、言わなくてもいいじゃナイ。俺はアナタに会いたくて、徹夜で里まで駆けて来たのに」
「それはそれは、お疲れ様でした」
「スゴイ、棒読み。誠意が篭ってないね。受付で見せる顔はどうしたの?」
「ここは受付じゃありませんから。…するなら、早く、してくれませんか?俺、受付に出ないと行けないんで」
「冷たいねー。俺に対する愛はないですかネ?」
「そんなモノ、最初からありません。…しゃぶるだけでいいですか?挿入は夜勤なので、今は勘弁してくれると助かるんですけど」
「…いいよ、ソレで。その代わり、全部、飲んで」
ゆっくりと拘束が解かれ、痺れた手首をイルカはブラブラと二、三回振ると、男と体勢を入れ替える。男は壁に凭れ、面をずり上げると、青灰と赤い焔を三つ宿した目で、膝を着いたイルカを見下ろした。イルカは機械的に男の前を寛げ、猛ったモノを取り出すと躊躇いもなく咥え、愛撫を施していく。それを見下ろし、男は嘆息した。
「何か、こなれちゃって、気持ちイイけど、つまんないネ。前はあんなに泣きながら、俺に「出来ない、許して」って、言ってたのに」
「何回もやらされたら、慣れますよ。嫌なら、他所を当たれ」
「可愛げもなくなっちゃて。…ヤダよ。アンタに咥えて貰うのが、気持ちイイんでしょ。…ってか、アンタがしゃぶりたいって言ったんデショ。…言っとくけど、アンタだけだから、しゃぶるの許してんのは」
慎重な忍びほど、急所を相手に晒すことを嫌う。挿入の代替案を拒否も出来たのに、いとも容易く、この男はあっさりと代替案を受け入れた。
「…身に余る光栄とでも、俺に言って欲しんですか?」
「アンタ、本当に面白いね。…俺はただ、このスリルが病み付きになってるだけだよ」
急所を自分を嫌い抜いているイルカに晒す危険性を楽しんでいると男は笑う。それに、イルカは眉を寄せる。最初の頃と比べ、この男はひどくおしゃべりになった。前は無言で物も言わずに、転ばされ、四つん這いにされ、乾ききった後孔を無理矢理犯された。そのことを考えれば、以前の本能にのみに従って生きてきた獣の本性は鳴りを潜め随分と人間らしくなったものだとイルカは思う。急所を咥えられて、噛み千切られるかもしれないと言う他愛のないスリルを喜ぶ。上目遣いに見あげれば、双眸を細め、形の良い唇を男は吊り上げた。
「…その顔、イイネ。出そう」
短い言葉と共に髪を掴まれ、喉の奥に凶器が突き立てられる。それに、イルカはぐっと眉を寄せる。びしゃりと喉の粘膜に熱いものが打ち付けられ、咽るが、口を塞がれ、吐き出すことも、呼吸もままならない。口腔を満たす粘ついた体液と舌に残る苦味を少しづつどうにか奥へと流し込む。喉が上下するのを見やり、イルカの髪を掴んでいた男の指が外れ、ズルリと勢いを失くし、萎えた肉塊が唇を滑る。それをイルカは手を添えて、咥え直すと、尿道に残る白濁を啜り、竿に垂れたものを舐めとると、何事もなかったように、男の下肢の乱れを整え、顔を上げた。
「…物覚えが悪くて、下手くそだったのに、上手になったね。後始末まで手早いし?」
「顔にもう、ぶっかけられたくありませんから」
「なかなか、エロくて、そそりましたよ」
ぶっかけられて、呆然としてる間に男はコトは済んだと立ち去り、仕事を残していたイルカは途方に暮れた。それ以来、細心の注意を払い、汚れない汚さないを心がけている。最初は吐きそうだった精液のえぐみも慣れれば、珍味のように思えてくるから不思議だ。…無理矢理にでもそう思い込まないと、こんなこと、やっていられなかった。
「こんな男にそそられるとか、アナタは頭、おかしいんですね」
いつまでもこの男の存在に怯えていられない。イルカは腹を括り、開き直った。その開き直りに、男は目を細め、楽しそうに笑うだけだ。
「そ。おかしいの。最近じゃ、アンタ以外じゃ勃たなくなって、俺も末期だよねェ」
どこまでが嘘で本当なのか。ただ笑う男からは何も知ることが出来ない。戦場で出くわした手負いだったこの男に情けをかけたらその場で犯され、戦場にいる間、夜毎、体を獣のように貪られた。里に帰還し、会うこともないと高を括っていたら、元教え子の上忍師として、目の前に現れ、「子どもに手、出されたくないですよね?」暗に脅しを含ませた言葉で、男はイルカに体を差し出せと迫ってきた。いつか飽きる、こんな馬鹿なことから開放されると望みながら、気がつけば出会って、十年の月日が経つ。男は飽きることを知らずに、未だにイルカの体を貪り食おうとしている。
「…病院、行ったほうがいいですよ」
自分の何が、この男の執着を生み出しているのか、イルカには解らないし、解りたくもない。ただ、最近はこの取り留めもない会話が少しだけ、楽しい。
「何で?俺、別にEDじゃないよ」
「誰もそんなことは言っていません。…腹の傷、結構、深いでしょう?早く、病院、行ってください」
跪いたときに気づいた。血の匂いに、この男の所為で敏感になった。この男の血か、他人の血か、嗅ぎ分けられるほどに嗅ぎ慣れてしまった男の血の匂いがした。
「…心配、してくれるの?」
「アナタが死んだら、里に損害がでますから」
「…それだけ?」
「それだけです」
その理由以外にイルカがこの男の暴挙を許す理由はない。男は拗ねたように唇を尖らせる。
「アンタには愛がないですよね、俺には。受付で、他の連中には無料で大盤振る舞いなのにね」
何を言うのかと、イルカは男の美しい顔を見やる。望めば何でも手に入れてきただろう男が、しがない中忍の年下の同性に、拗ねた口調で何を強請ると言うのか。この男に抱いた感情は最初は憎しみで、今では憎しみとも愛とも呼べない、何か、になっていた。
「ただの愛想笑いですよ。愛じゃない」
イルカは資料室の引き戸を開く。更に傾いた陽光が赤く黒く、イルカを照らした。
「アンタは俺には笑わないじゃない。…俺がアンタを愛してるから、アンタにも同じように愛を返して欲しいって言ったら、どうします?」
あんな始まり方をして、未だに無体なことを働き、そして、無茶苦茶なこと男はイルカに欲求してくる。イルカは男を振り返る。男は巫山戯るでもなく、真摯な目をしていた。
「…笑えない冗談ですね」
何も信じない信じられないそんな目をしながら、ひとを測って、挟持を踏みにじり犯し続けてきた男が愛を語るなとイルカは笑う。
「…冗談、ね」
「冗談でしょう」
この関係を解消する気は、多分、男にはない。そして、イルカにもない。曖昧なまま濁しておけばいい。今更、飾った言葉などいらない。男がそれでも、拗ねた顔を崩さないのに、イルカは内心笑うと口を開いた。
「…病院、ちゃんと行ってくださいよ」
「はーい。俺が怪我が元で死んで、アナタがそれを喜ぶのも癪だから、行きますよー」
拗ねた顔のまま男が瞬身の印を切り、煙のように消えたのを見送り、イルカは息を吐く。
「…アナタが死んだって、別に喜びはしませんよ」
むしろ、泣くのかもしれない。それは、決して開放からくる喜びの涙ではないだろう。
深く刺さった刺のような男の存在がもたらした口腔に残る苦味を唾液で押し流して、イルカは乱れた髪を結直すと落ちた出席簿を拾い上げ、埃を叩くと資料室の戸を閉め、誰もいないアカデミーの赤く染まる廊下へと出、窓の外を見やる。
廊下を赤く染める赤は、この心の中を染める赤と同じ色をしていた。
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