言葉は何が適切か。
迷っていたら、返事を無言のうちに促され、イルカはどうしようかと焦る。いっそ、この場から全力疾走で逃げ出したいが、目の前の男は上忍様だ。逃げられるはずがない。
(…いや、隙をつけば…)
と、馬鹿なことを考える。今日、運良く逃げ切った所で、受付所で自分の家で毎日のように顔を合わすカカシから、逃げ切れる保障がない。仕事中に手は出してこないだろうが、口は出してくる可能性がある。常識などどこかに忘れて来ましたな相手に公衆の面前で、愛を告白され、衆目に晒される恥辱に塗れた罰ゲームのような公開処刑だけは避けたい。そうなると、やっぱり、ここで答えを出すしかない。曖昧では駄目だ。そこに付け込まれる。そうなってしまったら、確実に囚われる。囚われたら最後、蜘蛛の巣に捕まった蝶のような(蝶という柄ではないけれど)最後を自分は迎えるだろう。
「…イルカ先生、」
焦れたカカシが言葉を発する。イルカは眉間に皺を寄せた。露出した右目が雄弁に感情を語るのに気がついたのはいつだったか…、あ、いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
「…俺のこと嫌いですか?」
傷ついたような目をするな。捨てられた子犬のような目で俺を見るな。情が湧くだろう!…自分の中の弱い部分をカカシは良く解って刺激してくる。そんな顔、したって駄目なんだからな!
「…嫌いじゃないですよ」
くぅんと鳴きそうな顔で見つめられ、脆い理性が斜めに傾ぐ。このひとって、犬っぽいよなぁ。…ってか、こんな顔されて揺らぐなんて、忍につくづく、自分は向いてない。イルカはカカシから視線を逸らした。
「…なら、好き?」
カカシは確実に、イルカに答えを迫って来ている。…ああ、どうして、曖昧なままではいけないのか。今まで通りの関係でいいじゃないか。メシを食ったり、酒を飲んだり、知人以上友人未満。アナタは上忍、俺は中忍…。階級差を気にしない人だから、付き合いやすかった。気が付けば、砕けて、タメ口叩くようになった俺にイヤな顔ひとつ見せないばかりか、「仲良くなったみたいで、嬉しいです」…なんて、可愛い顔してアナタが言うから、ちょっと馴れ馴れしくし過ぎたのかもしれない。それが思わせぶりに見えたのなら、俺も悪かったなって思う。でも、何で、それが「恋」だなんて、勘違いできるんだ?ましてや、同性。俺は女には百歩譲ったって、見えないと言うのに。このままじゃ嫌だなんて、手を繋いだり、キスをしたり、あわよくばその先もなんて…。そんなこと思ったことも考えたこともない。「何で、一歩進んだ関係じゃ駄目なの?」って、言われても困る。何で、今のままじゃ駄目なのか、俺の方こそ教えて欲しい。
「…アナタの求めている意味では、好きではないです。アナタの期待には答えられません。諦めて下さい」
男女の仲になるようなことを俺は望んでない。目の前の相手にそんなことを思ったことも考えたこともない。傷つけずに済む言葉を探して、ぐるぐるしてきたけど、言うしかないだろ!…俺は言った。言ったぞ!言えた!俺!!…優柔不断とよく言われるけど、俺だって、ハッキリ言おうと思えば言えるんだぞ!…ハハハ!!…と、優位な気分に立っていられたもの束の間、イルカはぎょっと目を開く。目の前の男がボロリと大きな涙の粒を零したのに驚いたのだ。
(…ちょっ、おま、)
何で、泣くんだよ?…俺、そんなに酷い断りの言葉を口にしたつもりはねぇぞ。…わたわたと焦ってみるが、手を出せば、振り出しに戻りそうな嫌な予感がする。…もうすぐ、アンタ、三十路でしょ(俺もだけど)、何で泣くんだよ。…ちょっと、可愛いけど………いや、目の作錯覚だ。黙されるな、イルカ!可愛くない!カカシさんはイイ歳した男!!俺と同じモン付いた男!可愛くない、可愛くない、可愛くないったら、可愛くねぇんだ!!
ぐずっと鼻を啜ったカカシにイルカは溜息を吐く。
情なら実はとっくの昔に湧いてるし、カカシが望む好意も少なからず持ってる。でも、それを認めるのが怖い。認めて、カカシを受け入れてしまったら、カカシに捨てられた時、みっともなく狼狽え、すがりつく自分が容易く想像できた。一度、懐に入れてしまったら、最後、ボロボロになっても、壊れてしまっても、自分のものだから、大事にしてきたものだから、捨てられない。人一倍、独占欲が強いのだ。最初から、自分のものにならないものなら欲しくないし、いらない。要は、自分が傷つくのが怖いし、嫌なのだ。
「…諦めるのはイヤです…。イルカ先生は初めて、俺がずっと一緒にいたいって思ったひとなんです」
(…それは、俺もですよ。カカシさん…)
…って、言えたら、その瞬間だけは楽になれるんだろうけど、その後、灼けるような独占欲に身を苛まれるのは御免だ。
「…俺は絶対に、諦めません!アナタに絶対、振り向いてもらえるように頑張りますから!」
…顔を真っ赤にして、涙を隠すこともなくドロン。
カカシは瞬身にて、逃げ去った。取り残されたイルカは溜息を吐く。
(…アンタは乙女か。…ってか、隣の姉ちゃんに昔読まされた少女マンガみたいな展開だなぁ、おい…)
一度、告白を断れた少女は「諦めない」と言って、どうなったんだったか…?少女に告白されたのは確か、学校の先生だった。…少女の年代的に新卒の先生でも、おっさんだったろうに、少女にとってその先生の何が良かったのか、イルカには理解できなかった。…その後、少女の奮闘もあり、先生と少女は最後には結ばれた…んだったが…。
(三十路のおっさん忍者が、同じく三十路間近のおっさん先生に惚れて、ハッピーエンドって、サムイだけじゃないか…)
イルカは頭を掻く。好いた惚れたなんて、若い頃に経験するもので今更、そんなの正直、面倒くさい。
「…諦めてくださいよ。どーせ、好きになったって、アンタは俺を置いてさっさと遠くに逝っちゃうに違いないんだから」
自分だって忍だ。任務中に命を落とすことだって有り得るだろう。その確率が自分より格段に高いカカシを好きになって、無事を祈り、帰りをひたすら待つのは辛すぎる。
(…でもまあ、もう、待っちゃってるけどさー…)
長期の任務から戻り、血塗れの風体で襤褸襤褸になって家に押しかけてくるカカシを邪険にも出来ずに、それはずるずると三年も。すっかり、イルカの家はカカシの家になり、カカシの着替えやら、歯ブラシやら、客用じゃないカカシ専用の茶碗や箸が知らない間に増えていって、気がつけば同棲状態。いや、違う。気まぐれにやってくる通い猫を接待してやっただけだ。猫だから、急に来なくなっても他所にいい場所が出来たのだと思える。そう思わなければ、やってられない。三年経って、あれは猫だと思い込むのに成功したのに、愛の言葉なんて今更、囁かれても困る。
「…あのひと、今日、帰って来るのかねぇ…」
素知らぬ顔で帰って来て、ここであったことなど何もなかった顔をして、「お腹空きました」と甘えてくるんだろう。それに、俺も何もなかった顔をして、じゃれてくるのをあしらいつつ、世話を焼いてやるんだろう。
カカシさんが諦めるのが先か、それとも、自分が折れるのが先か。
始まるのか、終わるのか…。
三年経って、漸く、賽は投げられた。
[25回]
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